無題、無代、無駄い

 

 

 

 

 

伝えるのをすっかり忘れていたんですが、あれだけ好き放題に書くブログにも相変わらず一定のファン(決して嫌味ではありません)がいるみたいなので、今回は消さずに下書きに置いておきました(雑感コラム構築記事を残して、単体考察みたいなのは消しました-いずれ戻します-)

 

というのも、自分はフリー勢だった頃を含めると3値を知って対戦をはじめてだいたい7年ほどになりますが、

今の自分はというと初心者とまでいかないにしても、よくいる中級者同然というか、基本的な部分でもできていないことが多すぎて、書くのも見るのも自由なんだからという見方をしてもなお、これまでの良くいえば奔放な、悪くいえば好き勝手なスタイルには恥をおぼえるようになりました

 

最近は結果が輝かしいのになぜか個体値を甘えているだとか、結果が輝かしいのに配分が煮詰まっていない(その並び、当時のトレンドが考慮された完成形という意味ではなく、単純に配分効率のような意味)ような記事も目につくといえば目につくのですが、

広い目で見れば構築記事全体が、特に僕がよく書いていたコラムなんかはフィーリングで、あえて近いところでいうなら小説でいう新人賞のように、それ自体に普遍的な評価の場がない以上、ほんとうに何も分からない人が参考にしようにも叩き台にすらならないのもあって、その人たち以上に広く見られる場に情報を吐いていい立場なのかが怪しいというか、そのあたりは最近になってレーティングをはじめて間もない初心者、レーティングをはじめて半年~1年程度の中級者のアカウントをいくつか見てきて感じました(初心者はそもそもこういうブログにたどり着かない、というツッコミはラ・フランスで)

 

 

数年前、はてなダイアリーだった頃にも似たようなことを考えて構築記事のみの投稿だった時期はありました

その頃もやはり似たようなことを考えていたのですが、やはり自分の力で考え抜くということは、特別な結果の有無は問わずこのゲームの醍醐味です

 

もちろん勝つことを第一に考えればいわゆる定石だったり、最短距離だったりにはある程度みえてくるものもあるんですが、あまりにも他人が決めた基準にだけとらわれてしまうと、いつか自分がほんとうに目指していたものや、好きでやっていた気持ちを忘れてしまうことも珍しくありません

とはいえ、だれもが一斉に同じことをしても個性は出るので、わざわざ個性を出そうと選んだ楽しみかたに主観的には頭痛が痛い状態、客観的には時報ツイート状態- Twitterが見られて時計が見られない状況が存在しない- を感じるのはあります

 

僕らのようなゲーム性を求めた戦闘民族たちが将棋をやらない理由を説明しようというときに、誰しもが持っているであろう『そのゲームが好きだから』を理由から省いた場合に、対戦ゲームを選ぶ理由として次点にもっとも普遍的なのは

『自分だからこそ勝利をもぎ取ることができた』というような体験なんだと感じます

いわゆるパッケージ性、すごく広い意味でいえば宗教です

 

自己顕示、自己肯定、自己実現など欲求を呼ぶ名前はさまざま、あるいはゲームをする人間に限らず誰にでもありそうですが(このあたり詳しくないのですみません)

これを満たせるようであれば、レーティングに取り組み続けてもいいし、新しい型の研究、開拓をしてもいいし、オフ会に出てもいいし、あるいは僕のように新しい言葉と定義を自分で作って研究していてもいい

どれも正しい楽しみかたです

『間違った楽しみかたなんてものは存在しない』といったほうが正しいかもしれません

 

ただし、やはり何をするのにも人間関係が絡むことを大前提に置いたときに、

他人が嫌いでゲームをしているのか、自分が嫌いでゲームをしているのか、他人が好きでゲームをしているのか、自分が好きでゲームをしているのか、

自分がどこに近いのかは一度よく考えてみるといいと思います

 

手段の目的化はときに防衛本能でもあるので、コンテンツを交流のためのツールにするのは構いませんが、好きでやっていた、いくらか譲っても少なからずは好きだから選んだという気持ち、なりゆき、きっかけだけは忘れてしまうとあまりいい未来は待っていないでしょう

 

もちろん目標を持つのは大いに構いませんし、目指すのもどこまでも自由ですが、特に旧作と比較すると対戦人口の減少、マッチングの仕様変更もあって、数字にばかりこだわってしまうと精神的な負担ばかりが大きくなりがちです(別のゲームに移るのも実はすごく賢い選択なので、どちらかというと問えるのは何年もやっている人間のほうなのもあるのですが)

 

以前の記事でも何度か言及しましたが、

勝負には勝つか負けるか以外の要素は存在しません

もっというと、ポケモン対戦にはルール、種族値個体値努力値、タイプ相性、覚える技、技の威力、仕様、状態異常、急所、もう少し細かく見れば乱数、以外の要素は存在しません

 

交代読み、展開、サイクル、対面パーティ、ギミック、あるいは行動の保障、共通認識など、作られた言葉はさまざまありますが、すべては見えているのは確かですが、実際にあるのかどうかにはだれの説明も届かない領域に位置し、それらの存在もすごく広い意味でいえば宗教そのものです

 

数字に表れるせいかやたらと絶対的に見えるようですが、広く知られるレーティングでさえも『ゲームの楽しみかた』というカテゴリで見るとこれらの要素よりは相対的で、より小さなところに位置すると感じます

 

自分はレーティングでの切断への対策がされていなかった世代の出身なので、どうしても矛盾をはらんだ対戦環境を求めてしまう節がありますが、最近はそれぞれの対戦環境がそれぞれの利点を抽出して考えられる風潮になりつつあるので、そういった環境の違いから不用意に敵を作るようなことも少ないのを想像すると、ここ数年で対戦環境もずいぶんと発展したなあと感じます

 

 

ダラダラとこんなことばかりを書いてもしょうがないので、少し前のものになりますが、思想にめちゃくちゃ響いたツイートのコピーを2つペーストして終わります

 

レベル0:そのゲームの基本的なルール、定石を理解する
1:自分の構築をそれにならって正しく使える
2:環境の知識を持ち、相手の構築に対して正しく対応できる
3:相手の正しいと思われる行動を誘い、それを利用し優位を築ける

 

読み合い大好き君が0,1,2を飛ばして見当違いな3を語ってるのは勿論として、大半の人間が0,1を飛ばして2についてばかり考えている。0ができれば1は数回回すだけでできるだろうから、0は1に含んで考えてもいいけど、0は基礎力、地力と呼ばれるようなもので僕はここばかり考えている。

 

 

 

 

 

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