めちゃくちゃなんとなく考えていたこと集

 

 

 

◼︎似たような中身について解説している記事同士なら、誤字が多い記事のほうが参考になるかどうかはともかくにして、参考にはしやすいのではないか?

 

考えていることを文字にすることに必死だと、あとあとになって文を見返した際に意図せず誤字をしていること、文脈のつじつまがあっていないことはよくある

 

そもそも言葉にする能力とものを動かす能力ではどうやら使っている脳が違うようで、

とはいえ生活をしているとそんな甘えたことは言えずに、言葉にしている暇があったらものを動かしたほうがいいときもあるし、ものを動かす暇があったら言葉にしたほうがいいときも当然あるけれど、

ものを動かす能力に優れているほうが選ぶ言葉が限られるせいか得られる結果に対して他人が入りこむハードルが低くなりがちで、他人から手を差し伸べてもらえる可能性が良くも悪くも高まる

 

特にみちづれをみちずれと書いてしまう人、思いっきり実数値ミスをしている人が句読点まできっちりとつけて、分かりやすいフォントに画像も入れて誤字もなく構築記事をまとめている人に結果で勝っているなんて光景は皮肉にもよく見た時期が確かにあった

 

 

 

◼︎もしかしたら上にきょうだいが誰かしらいるほうがゲームは上手いのではないか?

 

スポーツだとよく言われることだったりするけれど、このゲームでいうと下の子に生まれた人(知っている範囲だと)は上の子に生まれた人に比べて分からないことがあったときに素直に人に頼ったり、やっていない期間があったら無理をして自分で構築するようなことがそれほどなく、やるにしてもどこかからパーティを持ってくるか、親しい人からパーティをもらうことが多い気がする(必要ならば助けてくれる人が常にいるのも含めて)

 

逆に変に立ち回りでアドバンテージを取りたがったり(釣り交換とか蜻蛉帰りボルトチェンジとか特に好きそう)、パーティに変なメタやオリジナリティを仕込もうとしたり(〜抜き調整+1)、かたくなに人には頼らずに、何があっても最後は自分で決めたい人の上の子率も体感だと高い(こういう人はだいたい人の意見は一応聞くけれど、実際にはその通りにはしないこともすごく多い)

 

理由を考えてみたけれど、幼少期にどう頑張っても追い抜けない対象が常に近くにいるせいで、できない自分はともかく、だれだれよりも劣っている自分を客観視する習慣がついていたり、『〜はこうでなければならない』というような堅苦しい発想を昔からあまりしたことがないんだと思う

そのため組織の中での自分の立ち位置を把握するのが上の子に比べて上手くて、堅苦しさがないから自然と人が寄ってくるし、外交的で人間関係に積極的な人も多くいる

 

ひとりっ子の場合は人に頼るという選択肢がないがゆえになんでも器用にこなすか、親も冷たかった場合は人に頼りまくる習慣がついてしまっているかのどちらかになりやすいイメージ

 

もちろん後天的な要素でいくらでも変わりはあると思うから、例を見た偏見にしても例外はかなりあるはず(そもそも確証のある理論を提唱するような目的で書いてないからタイトルにはなんとなくとつけている)

 

 

 

◼︎『まだ使うかもしれないから公開を控える』ことについて

 

結果の良し悪しや満足にかかわらず、顕在的な結果のとりあえずは何も出せていないタイミングで、『自分の情報には価値がある』という潜在意識に埋もれて結果が出せないなんて時期も自分にはあった

 

少なくとも大多数の普通の人間側に属している自分の場合は『自分は情報を持っている』という意識のほうがモチベーションを削いだり、怠惰を招くことが体感だと多くある(それだけ自分の情報に期待をしているからハードルが上がるというのもある)

 

自分がどれだけ変なことを考えても同じことを考えてるやつなんかいっぱいいるし(コンドームにローションを入れて布団とセックスするやつをまじでやってるって人をリアルで見たときは本当にびっくりしたし心の底から引いた)、
あまりにも世間を知らずに育ったり、現在進行形で特定の権力を持っていたりしない限り普通のカテゴリーから逃れることなんか実際的にはほぼ不可能だから、新しいものを考えたらなるべくすぐに、それも実機で行動していかないとめぼしい差はつかない

 

少なくともカードプールが増えてしまえばなおさら惰性でできることなんか存在しないはず(それがやりたいなら上にいくことを諦めて、変更点が簡単な消去法で決まるようなワンランク落ちる戦術、ワンランク落ちるポケモンを軸に使ったほうがいいし、実際にポケモンだけでなく広く浅くゲームをする人にそういうものを選んでいる人は少なくない)

 

何が言いたいのかというと、『まだ使うかもしれない』がよほど目に見えて近い時期の話でない場合はガンガン公開しましょう

 

 

 

◼︎身につけたいことは手段にして、目的なんてものは後から持っても別にいいのかも?

 

数ヶ月前に新しいことをはじめて思ったけれど、覚えるものが別の覚えることを覚えるための手段になっているとその点に関しては覚えるのが早く、覚えるものを覚えること自体が目的になってしまうと覚えるのが遅くなる

 

たとえば高レートや最終順位にこだわる人の場合は、ほとんどの場合は目標はそれ以上でもそれ以下でもないとは思うけれど、仮にそういう立ち位置にたどりついたら何をしたいのか、もしくはその構築記事にどんなコメントがつくのか、それに対してその時の自分はどう感じるのかを予想してみるとヒントが見えてくると思う

 

もしかしたら人に説明しにくいような恥ずかしいプレイングをしていたり、見ていないものを見ていない段階で読んだりすることで落としている試合があるかもしれないし、自分が想像するレート上位はそんなことはしていないのかもしれない、つまりは高レートにたどりつくための要素を常に目的にして、レートはついてくるもの、それを証明する手段だという認識で動くとまた景色が変わって見えてくるかもしれない

 

あと最近流行り? の対戦理論みたいなものはそれ自体を目的にしてしまいがちだから、勝つことを目指す上では多くの場合は身につけなくてもいいし、右も左も分からない状態ではじめからそこを目指すのは遠回りになる可能性もある(他人と共有しなくても気持ちが保つようならばこのゲームのこれ以上にない楽しみ方だとは思うけれど、なるべく顕在的なデータを出して説明するような外交的な人にそんなことが当人のステータスとして許されるのか?とすごく疑問に思う)

 

力は入れなくても使えることが場合によってはあるけれど、理論やマニュアルを用意すると慣れていようが毎回のように均一な力が加わってしまうのも気になる(これも数ヶ月前にはじめた新しいことで感じたこと)

 

ストイックなのは大いに結構ではあるけれど、勝つことが目的ならもう少し近道でがむしゃらになってもいいように思える(理論が勝つための近道だと本気で思っているなら50回くらいシコって超賢者タイムになってから今一度考え直したほうがいい)

 

 

 

◼︎規模の大きな大会の決勝で海外NN色違いのような個体で統一した人をほとんど見ない気がする

 

何人かは当然見たこともあるけれど、自分の周りには海外NNにこだわる人ばかりだし、TwitterPGLで海外TN日本人の多さを見ても分母も足りているはずなのに、スクリーンに映るのはいつも日本NNな気がすごくする

 

あくまで推測でしかないけれど、理由は前の項と繋がっていて、目的やステータスがズレているから

 

海外NN統一や色違いにこだわる人は日常的にポケモンのことを考えていたり、ポケモンに時間を多く割いている傾向が強くあって、そんな人が『せっかく参加するんだから結果を出さなければ時間の無駄』だなんて考え方は少なくともしないはず

 

 

 

わざわざ取り立てて記事にする意味もないものばかりだったけれど、深く考えてみるとなかなかおもしろくて、意外とこういうのを書いてみるのも悪くないかなと思えるいい機会だった(貸した3DSが返ってくるまで暇だからまだなんか書くかもしれない)

 

 

 

 

 

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